朝、全ての支度が終わって、あとはコーヒーを飲み切るまでの5分。夜、洗い物が終わったあとの静かな10分。そんな隙間のような時間。私は1日に1回ノートを開く。どこにでもあるような、線だけのシンプルなノートでもいいし、そのために買ったお気に入りのノートでも良い。そこに、その時感じたことや、胸の中でうずまいている考えをぽつぽつと書いていく。
時々気持ちが昂って、文字が大きくなる日や、うまく言葉にできない日もあるけれど、不思議と書き出していくと、少しだけ呼吸が深くなるような気がする。自分の中の“わからなさ”に形を与えると、それだけで心が軽くなる。
今日は、そんな「ジャーナリング」のことを、少し書いてみたいと思います。

話す相手はいないけれど、書けば落ち着く
感情が揺れたとき、誰かに話すことで落ち着く人もいれば、私はまずノートに向かうほうだ。
友人や家族に話すには、気を使ってしまうこともある。気を遣わずに話せるほどの距離感って、実はとても貴重で、だからこそ日常にはなかなか難しい。だから、ノートはいつも黙っていてくれる相手として、ちょうどいい。
「昨日はなんだかしんどかった」と書くだけで、「なんでわかってくれないんだよ」とただ記すだけで、その気持ちを誰かに渡したような気になる。
ノートの上には、整っていない言葉が並ぶ。矛盾していても、文法が変でも気にしない。あとで読み返す必要すらない。書くという行為そのものが、気持ちを整える“儀式”なのかもしれない。
家の中でも、“ひとり”になれる時間をつくる
私は基本一人だけど、小さな子どもがいたり、家族と一緒に暮らしていると、「ひとりになる時間」なんて贅沢だなと思うこともあるでしょう。でも、物理的に一人きりになることだけが「ひとり」ではない、と思ってる。
キッチンの端にノートを置いて、お茶をいれたカップと並べる。それだけで、そこは「私の場所」になる。子どもがテレビを見ていても、隣の部屋で会話が聞こえていても、ページを開いたら、そこには小さな静けさがある。
それは「部屋」じゃなくて、「ひとり時間」を作る感覚。ほんの数分でいい。昨日の自分、今日の自分を見つめる時間が、そこに確かにあると思うと、心がすうっとほどけていく。
何を書いていいかわからない日も、ただ書く
毎日なにか書けるほど、劇的なことが起きるわけではない。でも、ジャーナリングは“出来事”を書くというより、“気持ち”を置いていく場所。
「疲れた」「何もしたくない」でもいい。むしろ、そういう何気ない言葉にこそ、自分の本音がにじんでいる気がする。
白紙のページに、ため息を置いていくような感覚。たとえば「雨だね」と一行書いただけでも、たしかにそこには、時を過ごした自分がいる。
うまくまとめようとしなくていい。読み返す必要もない。文字にして出すだけで、心の中の棚がひとつ空いたような、そんな気分になる。
ページの上で、静かに「ひとりに」なる
日々の暮らしの中で、完全にひとりになるのはなかなか難しい。でも、自分だけのノートのページは、確実に「私ひとりの場所」になってくれる。
ほんの少しでも、自分の気持ちと向き合う時間があると、それだけで立て直せる日もある。誰かに気を使わなくていい、見せる必要のない、自分のままでいられる数分間。
それはきっと、「ひとりに」なることの、本質なのかもしれない。ノートを閉じて顔を上げると、またいつもの暮らしが始まるけれど、その前に少しだけ、自分と手をつないだような感覚が残る。
ページの上で、そっと「ひとりに」なる。その時間が、今日をやさしくしてくれる。
ジャーナリングにおすすめのノート。
デルフォニックス(DELFONICS) パルテ ロルバーン ポケット付きメモL
いろんな種類の表紙デザインがあるし、限定もたくさんあるから、自分にぴったりのノートを探せておすすめ。私は地域限定柄のロルバーンも集めていて、他のことに使っているけど、実はジャーナリングに使っているのは毎年出る手帳。手帳の方がノートの厚みがあっておすすめ。
でもこのネコのモチーフのノートも欲しかったんだよねぇ。かわいい表紙だから、毎日開く時にうれしくなる。



